クラシックカーとカメラに見る、電子化の未来。
Text/Photo: Aira Naminohira
ライカを買うなら、中古市場を見ないわけにはいかない。最新モデルの性能には目が眩むけれども、今にはないモノが昔のモノから感じられる気がして。なぜって、そこにはライカが、カメラの歴史があるから。
同じように、メルセデスを買うなら、ある一時期を境に、それより前のモデルか、今のモデルを買うか悩むかもしれない。こちらも最新のモデルは眩暈がするほどの最善の装備がてんこ盛り。でも昔のメルセデスの色気が気になってしょうがない。
カメラも車も、この半世紀で名前は変わらずに中身が別物になった。昔のレンズにコーティングは無いし、もちろんメディアはフィルム。車だって化石燃料とキャブレターで動いてたのが、今や欧州では電動化無しに自動車メーカーが巨額の制裁金を避ける手段はない。
フィルムカメラからデジカメになって、今は写真ではなく画像を撮影していると一部では言われている。写真と画像の違いはなんだろう?最新のデジカメにオールドレンズを組み合わせたら、それは写真の画像を撮ったという事になるのだろうか。

車っていうのは心が広い。とりあえず原動機が付いていて、タイヤが4本以上、そして運転席があれば車と呼ばせてくれる。そんな車が電動化された時、カメラのように運転という行為が何かに変わっていくだろうか?例えば、操縦から操作といった具合に。こんな懐の広さがあるから日々、らしさ、について自問するのかもしれない。
デジカメの時代になって久しく、カリカリでビビッドな画像の流行を経て、今はデジカメでフィルム調を再現するようになった。さて電動化時代の車は、往年のメルセデスを再現するだろうか?